未来塾通信31


他人から理解されないつらさと、そこから生まれるものについて

■若い時に限らず、人は、自分のまわりにいる人から理解されないと思いこんでしまうとつらいものである。実は、「理解されない」ことがつらいのではなく、理解されないと「思い込んでしまう」ことがつらいのだ。理解されていないのが事実であれば、理解してもらえるように努力する手段はあるはずである。問題なのは、自分は理解されていない、孤独だ、といったん思い込んでしまうと、なかなかその思い込みから自由になれず、その中で堂々巡りをくりかえしてしまうという点である。

 私は若かったころの数年を、この堂々巡りの中で過ごした。つらかったし、孤独だった。社会との接点が見出せず、どうやって生きていけばよいのか皆目見当もつかず、書籍の山に囲まれてただ呆然として日々を過ごしていた。そういう状況から私を救ってくれたのは妻であった。20代前半のころである。だから、同じように思い込みから自由になれず苦しんでいる若い人たちの気持ちが痛いほど分かる。

 あれは2004年のことだった。朝日新聞の「ティーンズメール」という、十代の読者からの人生相談を何かの拍子で読んだときだった。読後、私は不意をつかれて感動し、しばらく余韻に浸っていた。私が感動したのは、悩みを打ち明けている高校生の気持ちにではなく、その回答に対してだった。孤独であるということは、人間が、かけがえのない魂を持った代替不可能な存在であり、その人がまさに生きているということであり、そうだとすれば孤独であることはどんなに素晴らしいことであるか、そしてそれがいかに創造の源泉と深く結びついているかを、わかりやすいことばで、実にあざやかに回答していたのである。新聞の人生相談の回答に感動したのは最初で最後であった。回答者は明川哲也氏。私の余計なコメントはやめにして、以下に再録する。

   『学校で緊張するとき』(兵庫県・女性・16歳・高校生)

 最近、私は学校にいると緊張します。なぜかというと、この前まで仲良くしゃべっていた友達が急にしゃべってくれなくなって、いつも休み時間や移動教室の時も一緒にはしゃいでいたのに、最近はあまりしゃべってくれません。組を作るときもいつも同じだったけど、今はほかの友達と組んだりするので、私は不安になります。
 「嫌われてるのかな」とか、「私、何か気にくわないこと言ったかな?」と毎日考えます。グループを作る時など、「私一人になったらどうしよう」とかいろいろ考えてしまい、学校にいると緊張します。
 こんなこと、今までになかったので、とても不安です。私は考えすぎですか?
 それとも、その友達に直接聞くべきなのでしょうか?でもその友達と離れたくないし嫌われたくないです。どうするべきか分かりません。
 私は悩みすぎでしょうか?

 これに対する答え。

   『16年後のフランスで・・・・・』

 2020年、フランスはアビニョンの瀟洒なホテルにあなたはいます。インドネシア人のカレシがワインを注ぎながら、おめでとうと言ってくれました。パラソル画家として有名になったあなたはアビニョンの美術展に招待され、しかも作品を気に入ったヨルダンの大富豪から、展示品を百万ユーロで譲って欲しいと申し込まれたのです。
 「これで念願の世界一周旅行ができる。プラハにアトリエも持てるぞ」
 カレシはゴキゲン。あなたももちろんゴキゲンです。
 「でも、傘に絵を描くパラソル画家なんて、いったいどういう発想で始めたんだい?」
 あまり昔のことを語りたくないあなたはカレシにほほ笑みかけるだけ。しかし頭の片隅には2004年の高校時代がありました。嫌われたらどうしよう。一人になったらどうしようと緊張ばかりしていたあの頃。
 そうだわ。あの時、新聞の人生相談に投稿したら、貧しそうな作家が「あなただけにしかできない何かを探そう。不安な時はひたすら創作に励もう」とアドバイスしてくれたんだっけ。それからは教室でつらくなる度に、私は画用紙に絵を描いていた。まさかそれがこんな実り多い人生につながるなんて。
 あなたはそんなふうに思い、カレシにこう言います。
 「孤独という筆が、人生をデザインしてくれることもあるわ」