講師 杉崎 徹 (Sugisaki Toru)

大分市に生まれる。英検1級、TOEIC950点。高校卒業まで大分市上野丘に住む。幼少年時代はありとあらゆる遊びをして過ごし、家にいることはほとんどなかった。あるときは上級生の悪ガキ集団の一員となり、あるときは下級生を率いて他の地区の不良集団に喧嘩を仕掛けた。夏休みともなれば、野山を走り回り、一日12時間以上遊ぶこともざらだった。、ボロ雑巾のように疲れ切り、死にそうなほど空腹になって家路についた。

元旦だけはすることもなく、数人の友達と上野丘高校のグランドの片隅にたむろして棒杭のように寒風に鳴っていた。正月だから、何か素晴らしいものがやってくるに違いないと信じていた。

同情心、裏切られた悔しさ、やり場のない怒り、上級生に対するあこがれ、自然と交感する能力など、要するに生命力の源泉となるもののほとんどを、この時期に経験した。皆貧しかったけれど、人生の黄金の日々であった。上野の森で遊んでいるとき以外は、ファーブル昆虫記やシートン動物記、SFに熱中し、父に買ってもらった顕微鏡を四六時中覗いていた。将来はプロ野球選手か生物学者になりたいと考えていた。

中学生の頃は毎日がお祭りだった。自転車に飛び乗ってペダルを踏めば、もう夢中になれた。南大分のN先生の自宅に、英語を習うため5人の悪友と通い、ほろ酔いきげんで授業をする先生の話につっこみをいれるのが楽しみだった。あの頃は皆、青春という安酒に酔っ払って危うく足を踏み外しそうになったけれど、それでもただ訳もなく楽しかった。暗くなった塾の帰り道、あこがれのY子さんの家の前を通り、ロミオの気分になって思いを告白しようとして仲間と奇声を発し、次の日学校で先生に注意される。Here's to us and all our mistakes and all our losses and the gains we'll make.


大分上野丘高校時代はただただ眠たかった。授業でやった問題とまったく同じ問題が出る定期テストや実力テストの連続で、やれば好成績やらなければ成績不振というあまりにも因果関係がはっきりしている勉強に意味を見出せなくなる。まじめさと記憶力だけを試す問題にうんざりしつつ、ただカリキュラムをこなすだけの授業に半分眠りながら付き合う。一流と言われている大学に合格することだけを目標に勉強できる友人を不思議な感じで見ていた。


やりたいことが見出せず、高校2年生頃から哲学書を読むようになる。「何のために勉強するのですか」という切実な問いに答えてくれそうな教師も、高校時代の3年間が、いや1年が、その後の人生で人間にとってどれほどの重みを持つかわかっている教師もいそうになかった。予備校以上に予備校化した学校で、私は人生の貴重な3年間を空費した。


浪人と失恋を経験した後、大阪外国語大学へ進みロシア文学を専攻する。トルストイ、ドストエフスキー、プーシキン、チェーホフを読む一方で、小林秀雄のドストエフスキー論に触発され、文学の面白さを知る。その後、ニーチェ、フーコーをはじめとして、哲学者の著作を手当たり次第に読む。林達夫著作集を読んだのがきっかけで、アカデミズムの外で自由に生きたいと考えるようになる。


人生の幸福は、一人の別れがたい恋愛相手と、一人の頼りがいのある親友と、一個の忘れがたい思い出と、一冊の繰り返し言及する書物に出会うことだと思う。大学に残って研究中、29歳の時に教師をしていた父が急逝し、妻と娘を連れて大分に帰省することを決意する。人生で最も悲しい日だった。


1983年、坂ノ市で『未来塾』を始める。塾教師は人生の青写真にはなかったが、学校というシステムの外で、小学生から社会人までのクラスを作り、カリキュラムにとらわれることなく自由に学んだり教えたりし始めると、毎日が新鮮で、色々な可能性が見えてきて面白いと思うようになる。このころは不良中学生と授業そっちのけでよく遊んだ。ツーリングに行くため、生徒にそそのかされて大型バイクの免許を取ったりしたのもこの頃であった。


塾を始めて9年後の1991年、生徒と遊んでいた空き地を造成し、数ヶ月かけて塾棟をデザインして直営で完成にこぎつける。それがきっかけとなり、朝日新聞の正月特集「大分をつくる」で紹介され、同年、世界で一番自由な学校といわれたイギリスの『サマーヒル』を訪ね、教育について考えたエッセイを「教育の現在」と題して同紙に連載する。その後、生徒と交わる中で感得したものと、マスコミを賑わす教育論の間にギャップを感じ、『アドバンス大分』に「明日の学校のために」を連載する。ポスト産業社会を生きる子供たちや親たちの意識の変化をとらえきれずに、学校批判や偏差値教育批判を繰り返すだけの教育論にうんざりする。


1996年、ルイス・カーンやル・コルビュジェ、吉村順三、永田昌民、内藤廣の建築に影響を受け、古材を使って塾棟の横に超ローコスト住宅を完成させ、建築雑誌に掲載される。お金がなくても、小さくて居心地のいい住宅を建てたいと考えている人の相談に乗っている。住宅は、時の移ろいのなかで、人生の一瞬一瞬を楽しくする小さな器のようなものだと思う。空間の劇的な効果よりも気さくな居心地のよさを、目を見張る独創よりも穏やかな平凡を、空虚な整頓よりも美しい散乱を!


他人の人生ではなく、自分の人生を生きたいと考え、一人称で考え、一人称で行動することを心がけている。いかなる政治的、宗教的団体にも属さず、日々の生活実感に基づいて思考することを信条とする。植物の成長に水が欠かせないように、人間の精神的な成長に読書は欠かせないと思う。


最近、受験に巻き込まれやすい優等生ほど、深く物事を考えることができないという逆説を痛感している。この傾向がここ数年加速する一方、高偏差値を取ってみたところで、それは単なる囲い込まれた世界での抽象的なゲームでしかなく、現実社会では通用しないということを、かなり多くの親が理解するようになってきたと思う。


こどもを塾や学校にまかせきりにするのではなく、適性や能力を見極めた上で、こどものやりたいこと、好きなことの延長線上に将来の職業を構想できるようにしてやることが親の責任だと思う。その意味では、問われているのはまさに親自身の社会とのかかわり方の質であり、家庭の精神的な豊かさ・文化度の問題だと言える。こどもたちの可能性を社会に向かって開こうとせずに、かえって既存の「教育」という「純粋培養」空間の中に囲い込む旧来の発想を、まず親が疑ってかかることが必要だと思う。そうやって開かれた可能性のなかでの、こどもの精神的な成長こそが、柔軟で将来性のある学力を形成すると考えている。