未来塾通信27


うれしい便りー自分自身の人生を生きるー

■私は最近、若かったころのことをよく考える。感傷やノスタルジーではない。どんなに恥ずかしいことを言ったか、行なったか、それを追体験するように考えているのである。若い頃の思考を、何と幼稚な議論をしたのだろう、と人は一笑に付すこともできる。しかし、たとえ幼稚であっても、今もあれほど真剣に考え、悩み、語ることができるかと問われれば、それは無理だと答えざるを得ない。若い頃の恋愛感情が、いかに未成熟で衝動的で、幻想に支配されていたとしても、その辛さ、切なさ、真剣さをもって、二度と再び恋愛できないのと同様である。


 あの頃、物知り顔の大人たちを何と軽蔑したことだろう。未来に対する底知れぬ不安が、社会に対する批判精神を研ぎ澄まし、疑問を提起させ、大人たちが作り上げた欺瞞を嗅ぎ分けた。自分がどこにいるのか。その分からなさ、その不安に、現実逃避と紙一重のところで震えていた。自分を定位できない不安。それが好奇心をかきたて、持続させ、哲学、文学、建築、科学、政治にいたるまで、未熟とはいえ自分なりの知的探求をうながす原動力となった。それを思い出さねばならない。追体験しなければならない。世間の片隅で塾教師として若者と接している以上は。なぜなら若者の本質は、いつの時代も、まさに実存的な不安の中にこそあるのだから。

 元塾生のK君から嬉しいメールをもらった。大学生になってからも建築について語り合い、一緒に、大分県中津市にある槇文彦設計の『風の丘斎場』を見学に行ったこともある。書斎で思考の模型作りをするのではなく、実際に行動し、生の建築作品を見て、それを足場にして思考する人間になってほしいとアドバイスすると、アルバイトで貯めた金でヨーロッパに飛び、ル・コルビュジェの作品群を見て回る、行動力のある、そんな若者である。

 杉崎先生

 こんにちは、長崎大学大学院のKです。
 お久しぶりです。ご無沙汰して申し訳ありません。

 早速ですが、報告があり連絡させて頂きました。
この度、A.S.Associates という構造家・鈴木啓氏の事務所に就職することが決まりました。
鈴木氏は佐々木睦朗事務所出身の40歳の若手構造家で、TNA(武井誠+鍋島千恵)や伊東豊雄事務所出身のSUEP.(末光夫妻)などの物件に携わっています。

 募集の少ない構造設計という職種だけに、就職活動はとても厳しいものでしたが、
構造家として経験的感覚を積むために申し分ない仕事の質と量がある事務所なので、
今から来年の4月が非常に楽しみです。

 今考えると恥ずかしくなるくらい浅はかな知識で構造を勉強しようと決意しましたが、
作品に触れることで完全に建築の虜になり、紆余曲折ありながらも構造家としてスタートできるようになりました。

 すべての始まりは高校時代に先生の影響でミースに出会ったことであり、
インスピレーションを与えてくれたことに本当に感謝しています。
思えば、あの時から僕の、僕自身による人生が始まった気がします。

 大学院での研究もあと1年を切りました。
僕の専らの興味は実構造物にあるので、研究の非現実性に疑問を感じることもありますが、
自分なりにしっかりと咀嚼しながらスタディしていこうと思います。
僕の研究室は本当にきつく、社会人ばりの長時間労働なのですが・・・・。

 そして、少しずつですが、後輩たちに影響を与えることもできています。
構造系学生に建築への興味を、という趣旨のプロジェクトを発足させることができ、
後輩たちの協力で何とか形になりつつあります。
インフォメーション用のブログを作っているのでよかったらご覧になってください。

 長くなりましたが、この辺で失礼します。
今度帰省する際にでもゆっくりお話できたら嬉しいです。
それでは、また。

 長崎大学大学院生産科学研究科
 環境システム工学専攻構造工学系
 K研究室
 
□以下は私の返信である。

 K君
 就職おめでとう。
 
 思えば、僕の高校時代は、もっぱら受験勉強に明け暮れるだけで
(それすら僕はまじめにやってはいませんでしたが)、
自分が将来何をやりたいのか、それを考える手がかりすらありませんでした。
教師は担当科目を教えるだけで、生徒の適性を見抜いて、
ある分野なり職業なりにいざなうだけの知識も力量もなかった気がします。
もっとも、他人にそれを期待するのは、甘えだといわれるかもしれませんが。

 受験勉強という「純粋培養」空間は、窒息しそうになるほど退屈でした。
勉強から逃避する口実を自分に与えているだけではないのか、
やるべき時にやらないのは怠惰なだけではないのか、という声に脅迫されながら、
将来が見えない不安の中で、自分の存在の確かさが見つけられる場所をただ闇雲に探していた気がします。
高校時代は、僕の人生で、失われた空白の3年間でした。
この空白を埋めるため、その後かなり長い年月を要することになりました。

 だからこそ、今になって思います。
高校生くらいの若者に本当に必要なのは、具体的な人生選択の動機であり、
勉強する意思を強固にする内発的な促しなのだと。
「とりあえず、今は勉強だけしておけばいいんだ」というセリフは、
ある種の人間にとっては暴力に匹敵するのです。

 僕がK君に勧めたのは、医者でもなく、会社員でも公務員でもなく、弁護士でもなく、建築家だったのは、君の持っている美意識、価値判断つまり人間としてのたたずまいを見ての、まさにインスピレーションだったのです。
何といっても、小学校から高校3年まで7年の付き合いだったからね。

 自分が好きな道で生きるということは、
いかなる苦労もいとわないということです。
それが才能を開花させるのだと思います。

 僕こそK君に出会えてよかった。
「思えば、あの時から僕の、僕自身による人生が始まった気がします」という君の言葉は、
僕にとっては何よりの励ましであり、ありがたいものです。
どうかこれからも健康に気をつけて頑張ってください。
帰省した折には、連絡を下さい。
それでは、また。