未来塾通信13


夢や希望ではなく勇気 ー エリック・ホッファー自伝 ー

■ 人間の尊厳とは何だろう。個性的に生きようとして個性的になった人間がいないのと同様に、尊厳ある人間になろうとしてなった人間を知らない。個性や人間の尊厳を発見するのは当人ではなく他人だからだ。

 私は22歳の時、友人のNと大阪心斎橋で開かれた彫刻家・高田博厚の個展に行った。目立たない、小さな会場だったが、萩原朔太郎やルオーの胸像を見て、彫刻家という仕事の厳しさを痛感した。彫刻家の側に、対象となる人間を理解するだけの人間的な深まりがなければ、作品にならないことがわかったからだ。


CGで作られた胸像は、作る側の思索の質を反映しない。萩原朔太郎やルオーの胸像には、まぎれもなく人間の尊厳が備わっていた。それはとりもなおさず、高田自身の芸術家としての苦闘の痕跡そのものであった。帰途、Nと何を話したか覚えていない。ただ痛みに似た感動が長く尾を引いていたことだけは覚えている。


 ある時、高田はロマン・ロランの紹介でガンジーの彫刻を作ることになる。しかし、高田はその存在感に圧倒されて、ただ向き合うだけで精一杯だったという。何とかして作品を作ろうとガンジーのもとに通ったが、ついに投げ出さざるを得なかったと、著作の中で書いている。人間の尊厳について考えるとき、私はこのエピソードを忘れることができない。


 もちろん、「人間の尊厳」などという言葉が、現代の日本で死語になりつつあることは十分自覚しているつもりだ。「脳科学」の成果が人間の「心」を操作する方向で応用され、何を報道し、何を報道しないかの価値判断と選択がすでに行われてしまった後で、情報が、テレビをはじめとするマス・メディアからひっきりなしに垂れ流される。細切れの情報が、日々更新されながら絶え間なく流されると、事態の全体像がわからないまま、細かな断片化された情報に一喜一憂し、重要なことと重要でないこととの区別がつかなくなり、いつしか断片化された情報だけを信じ込むようになる。なんのことはない、人間は、マインド・マネジメント(世論操作)の実験動物になっているのだ。


 教育の世界を例にとれば、日本経済新聞社や朝日新聞社といった大手のメディアが、「・・・・kids」という特集を組んで、東大をはじめとする一流大学に合格したこどもの家庭を競い合うように紹介している。いわく、父親の職業は○○で、学歴は○○大学卒。年収○○万円。母親は専業主婦か起業家で○○大学卒。どこの塾に通いどんな参考書を使ったかということまで事細かに書かれている。そして、当の子どもと両親の顔写真まで載せている。取材に応じた家庭の知的レベルの低さは置くとして、こういった特集を組む出版社や新聞社は、売り上げ目標の前では、犯罪を誘発する危険性など考慮に値しないと判断しているのであろうか。

日本のマス・メディアのレベルは落ちるとこまで落ちたというしかない。それにしても、この種の雑誌を親や子どもが読んでいる情景を想像すると、滑稽さを通り越してむなしさがつのるばかりだ。人間の尊厳などという言葉が死語になる所以である。


 話を元に戻そう。人間の尊厳について考えるとき、もう一人の名前が浮かぶ。エリック・ホッファー。1902−83。ニューヨークのブロンクスにドイツ系移民の子として生まれる。7歳のとき失明し、15歳のとき突然視力が回復。正規の学校教育をいっさい受けていない。18歳で天涯孤独になった後、ロサンゼルスに渡り様々な職を転々とする。28歳のとき自殺未遂を機に季節労働者となり、10年間カリフォルニア州各地を渡り歩く。41年から67年までサンフランシスコで港湾労働者として働きながら、51年に処女作「The True Believer」を発表し、著作活動に入る。この間、64年から72年までカリフォルニア大学バークレー校で政治学を講じる。常に社会の最底辺に身を置き、働きながら読書と思索を続け、独自の思想を築き上げた沖仲仕の哲学者として知られている。


 私は先日、訪ねてきた塾の卒業生に、『エリック・ホッファー自伝(作品社)』を紹介した。彼は、組織の中で心身をすり減らすようにして生きている35歳の社会人だ。多くを語らず、私もまた彼の訥々と話す言葉に耳を傾けていただけだった。彼が東京に帰ってから1週間ほどしてメールをもらった。「人生に見切りをつけようとしていた自分が恥ずかしいです。先生も健康に気をつけてがんばってください」と短く書かれていた。きっと彼は、人間の尊厳について考え、自分の人生に生還したのだと思う。


現代ほど夢や希望について語られる時代はないだろう。

「夢を持ちなさい」

「夢のない人生には価値がない」

「夢があってこそ人は輝く」

「自分だけの夢に向かって努力しなさい」等々。


本当だろうか。『自伝』を見てみよう。

『1931年から第二次世界大戦が起こるまでの10年間、私は放浪者として過ごした。自殺に失敗し、小さな袋を肩にかけてロサンゼルスを離れたとき、気持ちは軽やかだったし、広々した田舎に出たときは、故郷に戻ったような気がした。恐れるものもなければ、新たな生活を始めるための準備期間も必要なかった。ヒッチハイクもせず貨物列車にも乗らず、南に向かって歩き始めた。乗せて行ってくれるというなら断らなかっただろうが、自分から頼むつもりはなかった』


そして、歩いている途中でホッファーは車に乗せてもらうことになる。ドイツ語なまりのある運転手に尋ねられて答える。『どこへ行くのかって?別に行き先なんかないし、ただ歩いているだけさ』と答える。すると運転手は彼に『人間は目標をもたなくちゃいけない。希望を持たずに生きるのはよくないよ』と言う。そして、ゲーテの『希望は失われ、すべてが失われた。生まれてこないほうがよかった』という言葉を引用する。


ホッファーは反論せず、もしゲーテが本当にそんなことを言っているなら、ゲーテはまだ小者だったのだと思う。アナハイムについてすぐ、図書館に向かい、ゲーテの本を調べる。そして引用箇所を見つける。やはり運転手は間違っていた。ゲーテは「希望」ではなく「勇気」が失われたと言ったのである。


図書館を出ると近くのレストランの窓に「皿洗い募集中」の張り紙が見えたので、しばらくそこで働くことにする。ある日、そのレストランに例の運転手がやってくる。ホッファーは挨拶をして、図書館でゲーテの言葉を見つけたことを話し、間違って引用するのは犯罪だと冗談半分に忠告する。ところが運転手は、希望も勇気も同じだと言う。


『私は最善を尽くしてその違いを説いた。熱くなって語っていたから、まもなく周りの客たちも話しに加わってきた。そして、ほとんどの人間が私に賛成した』そして、その違いを次のように書く。『自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それをやりとげるには勇気がいる。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである』と。