未来塾通信 1


学力低下は塾のせい −PART1−

■塾を始めて間もない頃でした。ある日の夕方、目を三角にしたお母さんがこどもの手を引いて塾にやってきました。「テストで点が取れないので、なんとかしてほしい。いま通っている塾は成績が上がらないのでやめた。県立の普通科の中くらいのところにはなんとか合格させたい」とのことでした。この生徒が通っていた塾の先生のことが頭をかすめましたが、お母さんの正直で率直な物言いに負けて引き受けることにしました。塾には絶えずこういう要求が突きつけられていて、それを露骨に言うか、オブラートにくるんで言うかは人によって様々です。

本来なら、いま通っている塾の先生に相談して、改善すべき点がないか、家庭ではどうすればよいか、などについて話し合った方がいいのです。塾をひんぱんに変える場合、決まって生徒が低学力か、逆に生徒の成績が良いケースでは、教育を株式投資のように考えるドライで一見教養がありそうな親の意思が働いています。

とまれ、引きうけた以上、この生徒の成績を上げようとして、私は次のような手を打ちました。まず、定期テストの範囲になっている箇所から、出題されそうな問題をピックアップし、さらに予想される出題パターンを3通りほど作り完璧に暗記してくるように言いました。その生徒は喜んでプリントを持って帰り,次回の塾までに完全に暗記してきました。これを3週間繰り返したのです。そして定期テストの結果が出ました。数学:47点だったのが87点。英語:50点から92点に急上昇。生徒は喜び、親は感謝のしるしにと、ダンボール一箱分のみかんを持ってきてくれました。その先の展開が読めていた私は複雑な気持ちでしたが、母親の本当にうれしそうな顔を見て、その時だけは喜びをわかちあいました。

現在も塾を取り巻く本質的な部分は変わっていません。この頃はまだ牧歌的な雰囲気が残っていたんですね。その後、その生徒は定期テストが近づくたびに、私に予想問題のプリントをねだるようになります。それが他の生徒にも伝わり、試験前は予想問題のプリントが塾の中を飛び交うようになったのです。実態は、試験前に学校に忍び込み、問題用紙を手に入れてあらかじめ生徒に解かせておくのとたいした違いはありません。おそらく、現在でも、塾の95%以上は定期テスト対策の予想問題を解かせています。

一方、正統派の勉強をすれば、自分でテストの範囲内の重要事項を発見し、時間をかけて理解し、その対策を立てなければなりません。自分でやれば当然無駄が多くなり時間が足りなくなる。しかし、みせかけでない本物の実力をつけるためには、自ら試行錯誤する過程がどうしても必要です。それは、多くの親御さんもわかっているはずです。しかし、待てない。即効薬を期待する。こどもの養育において最も気をつけなければならないことです。インスタントラーメンやカロリーメイト、コンビニ弁当で育ち、家の中でゲームばかりして生命力を枯渇させ、病気になった後で、どんなに医学的治療を施しても手遅れです。

私に予想問題をねだるようになった生徒たちの学力は、テストの点数とは逆に下がっていくのですが、表面に数字として現れないため、見過ごされてしまうのです。数ヶ月間だけでしたが、手取り足取りこちらが教え、予想問題を作り、暗記しやすいように要点集を作ることが、どれほど生徒の学力面での健康をだめにするか、いやというほどわかりました。一度楽な勉強方法を経験した生徒を、忍耐力のいる正統派の勉強にもどすことがいかに大変なことか。以来、私は予想問題の類はやらず、応用範囲の広い基礎的な分野を繰り返し教えています。

察しの良い親御さんなら、現在の学力低下がどのようなシステムによって生み出されているか、すでに気づかれたことと思います。学校から業者テストが追放され、定期テストだけが学力を測る物差しになる。定期テストの点数を上げようとして塾に頼る。塾では定期試験問題のデータベースから予想問題をプリントアウトして生徒にやらせる。生徒は楽して点を取れる勉強方法しか受付けなくなる。こうして学力崩壊スパイラルが完成します。

 現代ほど親の意識がこどもの将来を左右する時代はないように思われます。こどもが見かけ上優秀者であれば良いと考える親御さんはいないはずです。私は塾の教師ですから、生徒が本物の実力をつけた上で難関大学に合格し、さらに学びを深めていく手伝いをしたいと考えています。以下は、全国チェーンの大手進学塾を分析した評論風のエッセイです。今は亡き、ある塾教師への鎮魂歌でもあります。参考にしていただければ幸いです。

■ある文化が、わずか数年で、それまでの流れを止め、予想もしなかった別の方向へ堰を切ったように流れ始める。そんな時代に、とりあえず学力だけはつけておかなければと焦っている保護者の皆さんは多いと思います。しかし、何を指して「学力」というのか。「学力」とは「生きる力」だと、美辞麗句を並べる人もいれば、5教科7科目のテストの点だと居直る人もいます。どちらもナンセンスな議論です。必要なのは、どういった条件が整ったときに、思考力や独創性、さらには同時代を生きる者に対する感応力や自尊心が生まれるのかという問いを立てることです。こどもたちが日々学んでいる現場への批判力と想像力なしに、この問いに答えることはできません。以下では、もう一つのこどもの学びの現場である塾に焦点をしぼって考えてみます。

 学力低下の本当の原因は、実は塾業界にあると言えば、意外に思われる方がいるかもしれません。しかし、塾で行われている、定期テストで高得点を上げさせるための「ごまかし勉強」こそが、学力低下の真犯人だということに気づくべきです。学力低下が叫ばれていたとき、こどもたちは塾通いをやめていたでしょうか。大部分のこどもたちは、相変わらず塾に通っていました。塾が学力を押し上げていたのであれば、学力低下は起こらなかったはずです。「ゆとり教育」や学校に非難のほこさきが向けられているのを幸いに、塾は合格者数を大々的に宣伝することで、いわゆる情報通の親たちをマインドコントロールしていたのです。以下に、学力崩壊という社会現象の原因の一つになっている大手進学塾チェーンの経営戦略を紹介します。

「自社の提供できるサービスは過大評価し、提供できないサービスについては顧客に意識させないようにする」というのがその戦略です。例えば、教材会社のテキストを使って大量の宿題を出し、こどもが家で勉強せざるを得ないようにします。塾に通うようになって家で勉強するようになったと、親を安心させるのが第一段階です。しかし、中身は相変わらずの(20年前とほとんど変わっていない)パターン演習と反復で、知的なこどもならうんざりして投げ出したくなるたぐいの問題です。さらに、公立中学の定期試験の問題を大量にデータベース化し、定期テスト前にそれをやらせて高得点を取らせ、あたかもそれが塾の指導の結果だと思い込ませる。最近では、「宿題のお手伝い」を売りにする塾さえ出てきています。

いやはや、商売になればなんでもありですね。その場しのぎの「ごまかし勉強」をすすめておきながら、テストの点数さえ取れれば、親は文句を言わないだろうと、たかをくくっているのでしょう。ずいぶんレベルの低い親を想定しているようです。こういう塾では、単なる解答確認型の授業しか受けられず、自分の解き方が正しいかどうか確かめたいこどもにとっては、退屈この上ないのです。

「基礎学力をつけるには反復するしかないだろう」との反論がありそうです。問題は反復の質です。一流のスポーツ選手になるためには基礎体力が必要なことはいうまでもありません。しかし測定可能な筋力や体力をいくらつけても、「力を抜く」とか「重心をすばやく移動させる」といった「動きの質」は身につきません。反復するうちになんとなく形になってくるのと、自分の中にある「これだ」というイメージを感性をとぎすまして追求していくのとでは、決定的な違いがあります。イチローの練習量の多さに周囲ががく然とした理由もここにあります。同じことの繰り返しに見えても、実質的には毎回新しいことを探求しているのです。飽きるわけがありません。時間が気にならないのもあたりまえです。学習も同じで、はじめから2時間やると決めていやいや続けても、感性を鈍らせるだけです。

授業中に一人の生徒が本質的な質問をし、その質問の素晴らしさに生徒全員が気づき、様々な角度から解決への糸口を探るといった授業が「動きの質」、すなわち本当の学力に結びつくのです。正解よりもいい質問をすることが重要だと、生徒が考えているかどうかです。私は、生徒が本質的な素晴らしい質問をしてくれることがなりよりの楽しみです。その答えを探している最中に時間がくることがよくあります。しかし、生徒の思考力や集中力が深まっているのが手にとるようにわかる瞬間でもあるのです。そういう時は、生徒が帰った教室に余韻が残っています。

一方、進学塾では授業中の質問を禁じています。カリキュラムを消化しなければなりませんからね。以前、私の塾の生徒が二人、この手の進学塾の夏期講習に通ったことがあります。知的な感性をもっていると私は評価していたので少し残念でしたが、親の意向のようでした。夏休みが終わって塾に来たとき、「あの雰囲気には耐えられなかった。親がお金を納めたのだから最後まで通えというので,がまんして通ったけれど、頭が悪くなった気がする。もう二度と通わない」と言うのです。もう一人は「半分通ったところでつまらないからやめた」とのことでした。二人に対する私の見方が間違っていなかったことが確認できて、なんだかほっとしたのを覚えています。この二人は高校卒業まで私の塾で本当に楽しそうに学び、一人は大阪大学工学部に合格し、もう一人は一橋大学法学部に合格しました。いわゆる受験エリートとは一味も二味も違った生徒でした。

 次に、この手の大手進学塾の「合格実績」がどのようにして作られるのか、その戦略を検討してみましょう。

彼らの目的は「塾は合格者数によって評価するのがよい」という価値観を定着させることです。いったんこの価値観が浸透すれば、直接サービスを受けることのない保護者は、合格者数の多い塾を良い塾と判断しますから、そこにこどもを通わせようとして生徒数が増えることになります。

ではどのようにして合格者数を増やすのか。話をわかりやすくするために、たとえば、ここに共に生徒数50人の、A,Bという二つの塾があるとします。A塾では生徒数の4割にあたる20人が有名校に合格し、B塾では2割の10人が有名校に合格したとします。そこで教育力の低いB塾は、合格実績を高く見せるために何をするか。あの手この手を使って生徒数を3倍の150人に増やします。そのうちの2割を合格させれば、合格者は30人ということになり、数字の上では逆転できるのです。したがって、塾に教育力があるように見せたいときは、生徒数を増やすことが最も簡単な方法です。そのためには年間に何度も広告を打てる資金力が必要です。教育の質など関係ありません。

では、もし宣伝にまどわされずに教育力のある塾を選ぼうとしたら、全生徒数に対する合格者の割合を比べれば、教育力を比較することができるでしょうか。答えはノーです。なぜなら、入会時の生徒の学力レベルが、どの塾でも同じではないからです。私の塾にも、別に塾に通ってこなくても有名校に楽々と合格できる生徒はたくさんいます。彼らが合格できたのは、私の教育力のせいだなどとは決して言えません。高校入試レベルで言えば、単に頭が良かっただけです。こんなことは、学校の教師であれば誰もが気づいていることです。

そうであれば、生徒と接する時間が学校に比べてはるかに少ない塾が、なぜ、あたかも合格が自塾の教育の成果であるかのように宣伝するのでしょうか。合格者数が減少しそうになれば、入試直前の冬期講習会から入塾した生徒も合格者に数えて「微調整」します。そして、新記録達成を大々的に宣伝するのです。しかし、こどもと一度でも真剣に関わったことのある人なら誰でも実感することですが、企業の論理と教育の論理は最も肝心なところで、相容れないのです。こどもに一定額の投資をしたのだから、それに見合った成果が出るのは当然だと考えるこども観や人間観。子育ては株式投資ではないのです。

私は頭が良いだけであまり努力をしない生徒に、深く物事を考えるにはどうすればよいか、そのヒントを具体的な問題を通して教え、頭のよさを誰のために生かすのか考えてもらいたいと願っています。しかし、多くの人は相変わらず数字だけを見て、その詐術には気づきません。教育の質は外から判断できないため、成績不振者の学力をいかに伸ばそうともほとんど評価されないのです。(私の知っているある塾の先生は、低学力のこどもを伸ばそうと本当に努力されていました。心労で体調をこわし、数年前に亡くなりました。彼の死はこの文章を書く動機の一つになっています。)逆に初めから成績優秀者を集めてしまえば、合格実績は上昇し、教育の質は高く見えてきますから、集客力が増して、利益を増大させることができます。

 大分市を例にとれば、生徒の成績を伸ばして上野丘高校に合格させるのではなく、「上野丘高校に合格する可能性の高い生徒をいかに集めるか」ということが最重要になります。「無料学力診断テスト」や「○○講習会」という「もちまき」(業界用語です)を、年に何度も実施します。上野丘高校の受験倍率が3〜4倍というなら、塾に頼りたくなる気持ちもわかります。しかし、実際の競争率は1倍を少し上回る程度です。にもかかわらず、受験生を集めなければならないとすると、親の不安をあおり、特定の塾に行かなければ合格は難しいと思い込ませるしかありません。マインドコントロール戦略の登場というわけです。塾に行かせるのは、こどもに本物の学力をつけさせるためなのか、親の不安を解消するためなのか、よくよく考えた方がよさそうです。こういったチェーン塾が年間に配布するチラシの枚数と広告宣伝費を想像したことがあるでしょうか。環境問題どころの話ではないのです。さらに、新学期ともなると、無料講習会のオンパレードとなります。ディスカウント競争どころか、○○センターでは「無料オープン講座を受講された方には、1000円の図書券をもれなく進呈」というのまで登場しました。「それなら、普段の受講料を安くしろよ」と考えるのが普通の感覚をもっている消費者ですが、そこがマインドコントロール戦略のスゴイところなのです。この手の話は尽きないのですが,あまりにバカバカしいのでやめにします。

 さらに、少子化の中、小学生の数を増やしたい進学塾と生徒数を確保しなければ経営が成り立たない私立中学は、利害が完全に一致し,親睦会や情報交換会を積極的に開催するようになります。私立中学側は、入試問題を難しくすることによって進学塾の必要性を高め、その見返りとして、進学塾から受験生の安定的供給を受けるという関係ができ上がるのです。

 ところで、塾を全国展開している企業の多くは、もともと教材会社だったというのをご存知でしょうか。自社の教材を手っ取り早く売りさばくために塾を設立したという経緯があるのです。教材会社は、ビジネスチャンスを絶えず狙っています。定期試験用の問題のデータベースは、教師も、生徒も、塾もほしがりますから、大金を投資して作ります。教師には「忙しい先生も、これで問題作りの時間が節約できます」と言って売り込み、塾には「定期試験対策で成果を上げられれば、さらに生徒が獲得できます」と言って宣伝し、親には「これでおたくのお子様の成績も急上昇します」と言って購入を働きかけるわけです。私の塾にもこういった内容のダイレクトメールが毎日のように届きます。こうして、以下の図に示したような「教育シンジケート」ができ上がるのです。

学力低下は、こういったネットワークに囲い込まれることに対する、こどもたちの反抗なのかもしれません。こどもの成長を確認するための手段が、テストの点数と順位の他にないのだとしたら、驚きと喜びに満ちているはずのこどもの養育が、親の自己実現の手段になっているのかもしれません。たったいまこの瞬間に進行しつつあることは何なのか。私たちの身に何が起ころうとしているのか。この世界、この時代に、私たちが生きているというまさにこの瞬間は何であるのか。こどもを育てるということは、こういった本質的な問いとどこかでつながっているはずです。現代における子育ての難しさは、この問いに答えようとして行きくれてしまう不安と同質です。子育ては不安との同居です。不安をとり除こうとするよりも、せめて不安から目をそらさないようにしようではありませんか。